東日本大震災被災者からの警鐘

あの日、大震災を福島県で被災した私の経験と事実を、再び起こるであろう大震災に備えて発信していくブログです。

福島県いわき市という街

私は高校生になる前に東京から母方の実家がある福島へ移り住んでいました。

 

正直東京と福島は別世界です。

自転車で走っているだけで不良行為を警察に疑われ職質されますし、買い出しやコンビニですらも車が必要だったりします。

バスは地域によりますが一時間に1、2本で電車は一時間に1本。

学生の主な交通手段は車での送迎か自転車での移動を選択せざるを得ません。

 

ガラの悪い中学生がたくさんいます。

これは東京でも同じようなものですが、ガラの悪い高校生大学生はいないのです。

それはガラの悪い中学生は学校を辞めるか、高校に進学しないで仕事を始めるのが普通のことだからです。

 

地域のルールみたいなものも少し特異で、訛りも強めなので最初はまったく馴染めませんでした。

まぁ住んでみたら体で覚えていくのでそのうち順応していましたが。。

 

基本的には首都圏の3〜5年前の流行が福島では最先端の流行みたいなギャップも多数存在していました。

高校生の中で好まれていたのはサーフ系のポロシャツや英字Tシャツが基本で、その中にプーマのジャージと原宿系もどきがちらほらいるようなイメージです。

車を持てるくらいの人たちはbBやオデッセイやクラウン、セルシオなどがブームでした。

 

ここまですごい偏見を持っているように見えますが、これは決して大袈裟に言ってる訳ではないです。

私が福島にあまりいい思い出がないため、悪い部分ばかり思い出してしまうのかもしれません。

ざっくりいうとまぁ全体的にガラは悪く、運転は荒く、仲間意識が非常に強い地域性といったところです。

 

太平洋に面しているため海産物はとても美味しく、田畑も豊富で、上質なものが安価で手に入りやすかったりもします。(今は少し敬遠されやすいとは思います) 

土地も広いので、道路には基本的に歩行者道路がついていますし、どんな店でも大きく、無料駐車場が完備されています。

 

あと首都圏と大きく違うのは、原付がほとんど走っていないところですね。

理由は定かではないのですが、昔の友人が原付はダサいから乗らないみたいなことを言っていたので、おそらくそれが受け継がれていて、乗る人が極端に少ないのかもしれません。

その友人の話では、もし原付で治安が良くない地域走っていると基本的に変な集団に絡まれるとのことでした。。

 

買い物にいくにも気軽にいける距離には無いため、両親の送迎の元、近くのショッピングモールに行っていました。

たまに遊びに福島にいくと、この歳になっても当時の友人とよくそこで会うくらいの溜まり場です。

 

総評として、ご飯がおいしく、車が必須で、付き合う人を間違えなければ豊かに暮らせるいい街、いわき市でした。(全然こんな風に伝えられてませんね…)

 

 

 

私は中学生からサッカーをしていたので、そういったところから徐々に地域に溶け込みました。

高校生のときに部活をある揉め事で辞めてから、実業団のような社会人チームでサッカーをしていました。

なので同学年の友人はほとんどいなく、中がいい人はみんな年上のお兄さんお姉さんでした。

 

あの日は高校は2期選抜試験(こっちでいう一般入試)の日だったため公休で、数少ない友人とゲームをして遊ぶ約束をしていました。

同学年と遊ぶこと自体久々だったので、あの日は朝から「今日の練習、雨でも降って休みにならないかなー亅なんて考えていました。

そしてなんでもないただの日常に油断しきった私たちの下へ、あの時間が来ます。

誰にも話すことがなくとも片時も忘れることのない

あの14時46分。

はじめに

はじめまして。

 

私は東京生まれ、福島で5年くらい生活をして被災、実家に避難してきて7年目の平成5年生まれ25歳です。

当時福島県いわき市在住の高校2年生でした。

父親の仕事関連でそこに住んでいました。

 

いわき市原発被害以外であまり話題に上がらなかったように思います。

最大震度も6強、福島原発からも少し距離があり、逃げようと思えば茨城県にすぐ接続可能で、津波も街を飲み込むほどではない。

そんな中途半端な印象をよく耳にしていました。

 

ですが、あの日あの場にいて経験した出来事は、そんなに簡単なことではなく、一歩間違えばいまここで文字を打つこともできなかった、そういうレベルのものでした。

 

あれから7年余りが経過して、私も周囲も危機感が薄れつつあると感じます。

 

震災後に私が友人から、その経験を大勢の前でスピーチしてくれないかと依頼されたことがあります。

その時は様々な葛藤からそうすることができませんでした。

ですが、いつまでも自分の中だけで大事にしまっていてもなんの役にも立たない気がしてきました。

思い出したくないことや、知られたくないこと、馬鹿にされるだろうなと思っていたことなどたくさんあります。

こういった匿名性の高いブログだからこそ言えることもあります。

 

そういった内容を実体験を元に、できるだけ当時を思い出しながら真実のみで発信していきたいと思います。